平成23年3月

3月3日(木)
左脳派?右脳派?
 先ほどですね、
こんなページを見つけまして、

自分は左脳と右脳どちらに偏っているのかという診断を気軽に行ってみたんですよ

 なぜに私、五番星が診断に踏み切ったのか、というわけは、

皆さん大変興味がそそられますでしょう。

実はですね…、



私、最近(というか2年ほど前から)、

小室哲哉さんて方の音楽にどっぷりはまっておりまして、



今更小室って…なんて声が上がりそうですが
私はかつて70年代の名グループ、オフコースに傾倒した男ですよ
それが今や平成の音楽を聴くようになったんですよ

これはまさしく音楽革命ですよ!五番星の!って話が脱線しちゃったね



まぁ、ニコニコ動画っていう最近話題の動画投稿サイトで、

小室さんの動画を色々と物色して回っていたんですよ。

そんで、ある動画でふと小室さんが腕組みをしたんですよ。



…あれ?



ってちょっと違和感を覚えたんですよ。

それでよぉく見てみると、

私とは腕の組み方が逆なんです。

左腕が上にくる形で腕組みをしてたんですね、小室さん。


確か、こういう腕組みをする人って右脳が発達してる人が多い

ってどこかで聞いた記憶があって、



なるほど、やはりアーティストというものは理論うんぬんじゃなくて
表現するものなんだなぁ!!(もちろん理論を応用しながらですよ

と改めて感心して納得したんですが、





…てことは右腕が上に来る私は左脳先行型ってことになるのか?

うん、まぁ、自分でもどこかで理論的な男だぜって感じで今まで生きてきた感じもするので

否定はしないですけども、



仮に、

左脳先行タイプの人間であるとしても

幼稚園時代、ピタゴラスで己の手から物体を創造する術を得て、

小学校時代、レゴブロックと出会い物づくりの真髄を見出し
高学年からはせっせとお絵描き掲示板でデコトラを描き続け、

中学校時代、毎日シムシティ3000とシムピープルに明け暮れ
美術部で期待の幽霊部員として3年間を全うし

高校時代後期には無謀なことに破天荒な作曲道を開拓したという

ありとあらゆる芸術をたしなんだこの男に



右脳力がないとは言わせない!

というかなかったらピタゴラスとかシムシティを買い与えてくれた
私の両親が泣きますよ



 それでやってみましたよ、診断を。

恐らく私は多少理論的に物事を片付けるきらいはあるんじゃないかと思うんですが、

数多の斬新なアイディアを生み出し続けてきた動力源であるコイツ(右脳)は



左脳にも引けをとらないほどのビッグな男だ

議席を過半数とるまでとは言えないが小党の連立を実現できれば

いよいよ政権交代かってとこまできている一大勢力ですよ



さぁ、診断は簡単だ。直感を信じるんだ、直感を!!















あなたの得点は25です!

■解説
最悪です。左脳だけで物事を考えているようです。1+1=2で物事を見てしまう人です。理論が先行しますので、納得いくまで行動をしないためあいつは口ばかりと言われかねません。右脳を強化するために、音楽を聞き絵を描いたり、また、絵を見たりしてみましょう。
物事を全体的なイメージで捉える訓練もいいでしょう





ちょえぇっ!?

いやいやいや

これじゃ完全にガチガチの理論野郎じゃないですか

75%の議席を左脳党がジャックしてるんですよ

文化面において数々の実績を残した右脳党の皆さんを差し置いて!!ですよ



それに随分とひどい言われようですよこれは

最初の一言が『最悪です。』できたもんだ

それでもね、まぁ右脳を強化するためにって私へのアドバイスがあるからね
ヘコまずにね目を通してみたんですね。

音楽を聴き、

絵を描いたり





って





それ私の日常ですわ

絵は最近描かないけども

たまにデコトラやじいさんを描いたりしてますよ



どうもね、この解説がちょっと腑に落ちないんですよ

なんでかってね

私が音楽の成績が2で未だ音楽についての理論ゼロってことを

ご存知の方も多いとは思いますが

この解説が真ならばですよ

私は音楽を作る時、理論が先行して曲を仕上げていくんです。



えっ?



私は音楽理論を駆使して、計算的にあの不可解なメロディを作り上げたってこと?

それはまぁある意味才能なんだけど

違うんだよ



音楽ができないからあの独特さが出るんですよ

感覚なんですね、私の音は

というか自分で作って弾けませんからね、神秘的でしょう

だからこの解説は私には偽なんですよ

じゃああれですか、私は

音楽を聴いたり、作ってみたりしてたからこそ



やっと!



25点を



取れた!!



っていうレベルなんですか

じゃ私は本来どこまでガチガチな人なのかっていうことですよ!

まぁ、…それなら…右脳党の皆さんが全議席の25%を占める事は

党開闢以来の快挙ってことですね
へへ、あの左脳党の奴らに一泡吹かせてやったわい
って感じで喜んでるんですね



うぅん…そう考えると…、

それでも悪くないなって思えますね。



 まぁ皆さん、五番星プギャーm9(^Д^)!
とか思ってるかも知れませんが

ととととりあえずこの診断をやってみてはいかがでしょう!

50%に近いやつは笑えばいいさ!!

m9。゚(゚^Д^゚)゚。プギャーッハハハハヒャヒャヒャヒャって掲示板にでも書けばいいじゃないか!

でも25%未満の仲間たちを私は笑わないぞ!



そっと君の隣に座って



気持ちを共にするさ…





(感動の結末!!

3月10日(木)
国立 大くんの話
 私には永遠のライバルがいます。

国立 大(くにたち ひろし)くんっていうんですけど、

かなり手強い相手ですよ。

私はもう人生を20年近く生きてきましたが、

これほど強い相手は大くんが初めてでした。



 大くんに挑む事…

それを仲間の間では『受験』って言ってたんですけど、



私が通っていた高校は、どちらかというと、まぁ平平凡凡よりちょっと下くらいのレベルだったので、『模擬試験』っていう大くんとの練習試合で、数多の男たちは彼のあまりの屈強さに戦意を失って国立大への受験を断念する者が後を絶ちませんでした。

 じゃあどんな奴が大くんに決闘を申し込むの?

それはべりーいーじーですよ!

成績優良者!これに限りますね。とりあえず成績がいい人がまず構想を練るのが、ご存知、国立大くんへの挑戦ですよ。

 私も始めは、大くんに挑む気なんて微塵にも思っていなかったですよ。まぁでも通学しうる範囲内にいくつか大くんが待ち構えているので、とりあえず近所の国立大のパンフレットに目を通してみたんですよ。

するとですよ、

私は日本史と数学が好きで他には何もできない人間なんですが、

近所の大くんはなんと、数学を受験科目として挑戦してもいいぞという事実が判明したんですね。

大くんめっちゃ太っ腹じゃないか!!

しかも300点満点って!!

もしかしたら五番星でもデキるんじゃないか!

って思った事がきっかけでして、



国立大に挑む事になりました。



が、



その年、見事撃沈しました。



頭を抱える五番星…

嗚呼…私も合格者発表掲示板の横に立っている胴上げ組に胴上げされたかったなぁ…



だがもちろん得るものもあった。



───隣町の大くんの出題する数学はかなり易しい!!!!!



 そして四月。

私は勉強を始めた。

自宅浪人生誕生の瞬間であった。



しかし、



アッという間に時が過ぎ、

予選となるセンター試験が終わり、

力試しで受けたはずの地元私立大で全力を使い果たし、

大くんへの二度目の挑戦はもうすぐそこまで迫っていた。



 来たる2月25日(金)

宿命のライバル、国立大、2次試験が始まった…

受験科目は昨年と同じく数学300点。



いざ、隣町!目指すは国立大!
 颯爽と家を飛び出す五番星。凛々しい受験生(サムライ)の顔をしている。

隣町といっても私の住む町は異常にデカいんですよ

果ては海。果ては県境の山脈。隣町まで電車で一時間ですよ。



 試験場に着くと、会場には緊張感が漂っていた。

去年はやっぱり私も緊張していたのか会場の様子はよく覚えていない…

しかし二度目の受験となると気持ちもだいぶ穏やかだ。

受験の先輩、五番星が、先輩の風格で後輩の受験新参者達を見渡す。

みんなデキる感じの顔ぶれだった。

いや、顔ぶれと言っても顔見てないんですよ
うつむきながら最後の勉強をする受験生たちの頭頂部からバリバリ感じましたね。

五番星の前の座席のやつなんてヤバかったですよ



はんぱじゃない秀才オーラですよ!!



まぁ、顔は見てないですが、



彼の後頭部からビリビリ感じましたわ!!秀才のオーラを!!



いやぁ、
一年経ってようやく気付きましたね。





───俺めっちゃくちゃ場違いだわ………!!



 数学の試験は…よく覚えていません。

でも去年が明らかに簡単すぎたっていうのが

大くんも分かっていたんでしょうね。



くっそ難しくなってましたよ

学校の定期試験では、

後半のほうってすごく難しくて、

基本的に捨てるでしょう。



そのね、



私がいつも捨てる問題より

3倍くらい難しいんですよ。



定期試験のほうは、



『…くぅっ、仕方ねえ、捨てっか……!!』



っていう固い決心があるのに対して今回の大くんの問題は、



『( ´,_ゝ`)プッ、ちょおまwwwこれはねえわwwwwww』

ですよ、



あまりにできなさすぎて苦笑いしか出ませんでしたね。



 試験終了後は、なんでしょう、すごい虚無感でしたね。

一年間この日のためだけに勉強して、…これか……

っていう感じの。

でもまぁ、本気でやったので悔いはなかったです。



 あとは帰るだけ。

駅に着くと、



少し前に帰りの電車が出発してまして



しょうがないから、



駅で、一番ブルジョアな駅弁を買って、

一時間近く電車を待って、

電車内で食べましたよ!



まわりのお客さん方もなかなかビビってましたね。

普通の通勤電車のやっすいシートで

地元の名産、庄内豚弁当に挑む一人の男の勇姿に…



いやぁ、多分、私がこの一年間勉強してきたのは



国立大くんに挑む為じゃなくて



この庄内豚弁当に挑む為にあったんじゃないかな



───今ではそんな風に思えますね。うん、まじ美味かった!!

   ←その時食べた弁当。
美味いっすよ!
山形駅でお買い求め頂けますよ

3月23日(水)
東北地方太平洋沖地震 〜震度6弱の地域から〜
 地震が発生してもう12日が経ちました。
この地震により大変多くの犠牲者が出てしまい、行方の分からない方も数多くおられます。
お亡くなりになられた多くの方々のご冥福をお祈り致します。
この地震では宮城県北部では震度7、私の地域は震度6弱を観測致しました。

震災前は本当はホームページのリニューアル話でもしようかな、なんて思っていたのですが、
私の生存報告と兼ねて近況をご報告させて頂きます。

 3月9日
最近、ちょこちょこっと地震が多くなって、そろそろ一発くるんじゃないかな、
と思っていたら震度5弱(私の地域では震度4)の地震が発生しました。
大体、一年に一回くらいこのくらいの規模の地震には逢っていたので

『おおッ、今年もまたヤツが来よったぜ!』

みたいな感じで、次に会うときはまた一年後だなって身勝手な予定を立てるんですね。

まぁ、それで、

12日にはアマゾンで注文してたMIDIキーボードなるものが(いや、ピアノなんて弾いた事ないんだけどね)いよいよ我が家に到着するっていうメールがアマゾンから着ておりまして、

これで我が作曲道もさらに拡がるな!!

って新大学生になるの私は勉強もせず煩悩の赴くまま平穏な生活を送ろうとしていたのだった。



 そして、今後、決して忘れないであろう、3月11日。

時刻は午後3時に届きそうな時であった…



五番星は今日もパソコンと睨めっこだ…おかしなことではない…これが彼の日常なのだ。

しかし彼たる男でも尿意には抗えない…

彼は自宅のトイレへ駆け込んでいった…



 …ふぅ



小便を今まさに放っている彼は考え事をしていた…どうせまた日本経済が新興アジア諸国を出し抜き世界経済に立ち向かう為の理論を模索しているだろう…、右翼で民族主義の彼らしい。

その時、彼は地震を的確に捉えた。

…この地震は小さいな…まぁ多分一昨日の地震の余震なのだろう…

当たり前だ。一昨日の時点で大規模な地震は終わったと思っているからだ。

…しかし随分この地震は長い……まだ初期微動なのか……でもこの長さだと随分遠い地域だな…。
五番星は中学校で習った理科の知識を大いに活用した。

だが、まだ終わらない。少しずつ強くなってきたような感じだ。止む気配はない。



…トイレの照明がちらちらと点灯と消灯を繰り返すようになってきた
既にこの地震の大きさは余震という私の基準を大きく越えていた事に気付いた。





…こ…これマズい…!!



瞬時に危機を察知した私の身体は小便をする事をやめ、私は目にも留まらぬ速さで右手で水洗レバーを引き、左手でトイレのドアを開け、狭い個室から飛び出した。

…これが2年に1回しか起こらない五番星の運動神経の覚醒であった。よってあと2年は来ない。

(よく考えたらトイレから出るとき手ェ洗ってねえ…)



トイレから脱出した私を襲ったのは激しい揺れだ。

地面から激しい音が聞こえ、次に陶器やガラスの食器類のぶつかるけたたましい音、棚の上に積み重ねていた様々な器物が床に叩きつけけられる音、一番恐怖を煽るのは、建物全体から聞こえる軋みであり、その全てが一斉に私の鼓膜を攻めつける。

このアパートは住んで半年であらゆるドアが閉まらなくなったり、配水管が壊れているのか、他の家庭が水を使うと我が家には結構な轟音が響き渡る構造なのである。不安感を覚えぬ方がどうかしている。流石は突貫工事の賜物!…いや、こんな家二度と住みたくない。彼は心に誓った。

この揺れは、2分ほど続いたような気がする。

私は瞬時に1978年の『宮城県沖地震』の再来だと確信する。

地震が治まると彼は冷静になった。

その時、彼は大事なことを忘れていた事にようやく気付いた。



相棒(パソコン)の存在を…

私のパソコンは一ヶ月前に買ったばかりの新品である。
安否を確認する為、私は華麗なフットワークで割れた食器類をかわしながらパソコンのもとへ向かった。



…大丈夫だ。モニターこそ落下しかけていたが無事であることには間違いない。早速、インターネットでこの地震の情報を確認しよう…



………???おかしい、何も反応しない。










停電か…!!!



私は生まれて初めて停電を体験した。

 しかし、後から考えれば私は非常に幸運(ではないけども)だったのかもしれない…
停電であっても、水道、ガス(このアパートは市ガスではなく共同プロパン)という3つの内2つのライフラインが残されていたのだ…!

 その日の夕食は非常に美味しかった…
ストーブはもちろん暖房もつかない寒い部屋で懐中電灯一本で家族4人、温かい飯を食べた。
胃に染み渡る温かい食事、…何より家族が無事で私は幸せをかみ締めた。



 3月13日。

 彼は、興奮冷めやらぬ余震のせいで一睡もできず、明かり一つない夜の闇に向かって布団の中からひたすら立ち向かっていた…

あれからまだ二日しか経っていないのか…

彼は、震災前の記憶を巡り始めた…
二日前…彼自身のホームページ『五番星流』を更新する予定でいた…
四日前…家族全員で焼肉屋に行ったなぁ…
そして高校、義務教育時代の思い出がふと甦る。友人たちは無事だろうか…いや、…皆津波の心配がない内陸部の人間ばかりだ。無事に決まっている。

 そして、記憶を巡り終えると、次に出てくるのは見通しの暗い明日だ。

善良な一市民の僕がなぜこんな目に…、日本政府は一体何をしているんだ…

なぜ、大震災時に限って時の与党は売国党なのだ。

阪神淡路大震災では社民党。

そして今回は民主党…

外ではひっきりなしにヘリの音が聞こえる。
恐らくは取材陣のヘリだろう。
どうせ停電した東北地方の風景、もしくは被災した市街地の撮影にでもきたのだろう。
左翼的な民放各社は情報操作を行って震災をバラエティに仕立て上げ、いち早い復興を妨げようとしているはずだ。
物流の復旧の目処は立たず、このまま停電が続けば食料だって腐敗してしまう。この先、さらに大きな余震が訪れれば断水にならないとも限らない。誰でも分かる様な、いかに悲惨な映像を撮る為だけに精を出す取材陣にこの『一歩先すら見えない不安感』を理解できるだけの知能があるのだろうか。…まぁそれが彼らの仕事なのだろう。

この時、五番星は社会に対しこの上ない猜疑心によってしか思考できなくなっていた。



 日が昇ると五番星とその父親は、愛車、日産ローレル(最下級モデル)に乗り込んだ。もちろんどこかドライブに行くのではないラジオを聴くためだ。

NHKのラジオに耳を傾ける。
すると、新潟中越地震以来震度7を観測(メーターを振り切る)した事、日本で観測史上最大のマグニチュード9.0を記録した事や、海沿いは津波の影響で壊滅的被害を受けたという状況を解説していた。
しかし、その壊滅的被害が、内陸部の私にはどのようなものか想像がつかない。

停電についてや政府の対応などについては殆ど触れられていない。要はまだ白紙に近い状態なのだろう。だが仕事柄、家族随一の情報通である父親によると被災していない新潟から東北地方に電力を供給するようだ。

そしてこの地震はあくまで『三陸沖地震』であり、『宮城県沖地震』とは無関係であることに私は驚嘆の色を隠せなかった。

近い将来また大きな地震は確実にくるのか…、底知れぬ不安に打ちひしがれた…



 帰ってくる頃には彼は非常に疲れきった顔をしていた。寝不足なのか、不安感なのか、いや、どれも違う。停車した自動車に長居しすぎた為、排気ガスにやられたのだった…



 窓際にある鏡を見ると非常に疲れた自分の顔があった。もう二日も風呂に入っていない為、髪の毛がテッカテカと日光に乱反射して、それが総白髪のような錯覚を起こさせているからだ。

 数十年する頃にはこうなってるんだな…

彼は自分の将来像を想像することができて大収穫であった。



 日が沈むと何もすることがなくなる。とりあえず、夕食を口にして午後9時には就寝する事を震災後の彼の日課としていた。

 そして布団に潜るといつものように眼光鋭く、独り、夜の闇に立ち向かわんとしていた。

もうね、ね、ね、寝れないんだよおぉっ!!



 3月14日0時

 ようやく浅い眠りに就き始めた彼を家族によって叩き起こされる。

何事かッ!?

彼は不機嫌な目覚めだったがすぐにその意図を解釈した。

カーテン越しが微かに明るい…。冷蔵庫のモーターの音がする…。

彼はすぐに蛍光灯を点けた。



 電気が復旧した…



あてのない闇から私を救い出したのは、東北電力の迅速な対応によってであった。

東北電力の社員はは女川原発を震災と同時に何の問題なく停止させ、さらには、寝る間を惜しんでまで電力供給に力を注いでいたのだ。

彼はこれまで、寡占業種のくせに調子に乗るなと思ってきた自分自身が恥ずかしいと本気で思った。

この瞬間、全てのライフラインが確保され、三日間の暗闇からようやく解放されたのだった。

 その日のうちに友人や親戚の無事を確認し、彼に久しぶりに安堵の表情が戻った。

そしてその日から九日が経った今、彼は地球の恒久の平和の為に…だめだ、そろそろ疲れた。

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